昨夜、とても寝苦しくて目がさめた。ヒョウ柄の夏用毛布を縦にして寝てしまった為に首まで覆われ、その毛布から出た手が押し付ける形となり首や胸を圧迫したことがよくなかったようだ。
眉間にしわをよせて眠っていた間、社会的地位や経済力による格差を押し付けられ、それによる劣等感がどうしようもなく押し寄せてくる夢をみた。
深夜1時過ぎだった。
今の世相では充分に考えられる内容であったが、自分の中にある不安や弱さが増幅されたような夢だった。
いつかも書いたかも知れないが、悪い夢は意外にも良い兆しであることが多い。が、バタリアンやエイリアンが出てきて襲ってくれたほうがまだ良いと思えるくらい、リアリティのある夢というのはそういう機転がきかず拭えないものである。
そんなこともあって、今朝はしばらく生きることについて言及されているHPを観たりしていた。
どれも夢の後味を拭い去ってくれるような言葉が見つからない、それもそうだと思う。
その後で、先日書きかけていたXjapanの夢についての日記を書いて更新し、思い出したようにiTunesを再生させた。
その夢を観た当日はおもしろおかしくてたまらないくらいだったのに、更新して改めて読んでみるととても冷めた気分になる。
すべて、昨夜の夢のすべてが悪いのだ。
気分を変えようと、先日のダイアリーでもBGMとして記述していた自らの楽曲を再生する。
いつものように物凄くテンションが上がることはないが、演奏すること歌うこと表現すること聴くこと、そのすべて"音楽"はまさに生きることだと思える。
なんとなく気分が上がらない時に読むのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(僕はルドヴィヒと呼ぶ)の『ハイリゲンシュタットの遺書』である。
私の傍らに座っている人が遠くから聞こえてくる羊飼いの笛を聞くことができるのに私
にはなにも聞こえないという場合、それがどんなに私にとって屈辱であったであろうか。
そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい自ら命を
絶とうとするばかりのこともあった。
そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと
感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。
僕の音楽が、誰かの希望へと繋がり、またはそのものへと成り得るのならば、それ以上のことはない。
ルドヴィヒ、俺は生きるぞ。
俺はロックンロールエンターティナーのHEAD、世界を縦横無尽に駆け巡り鮮やかに輝き続けるReveRのHEAD☆